死にそうな猫

道端に、ボロボロで沢山の蝿に集られ、死にそうな猫がいた。それに付き添う毛並みの良い健康そうな若い猫もいた。死にそうな猫は俺が近付いても睨む元気無く、弱り切っていた。

近く俺に、付き添っている若い猫は目を見開き俺を睨む。

刺激しない様に近づき、沢山の蝿に集られ死にそうな猫を見て俺は胸が痛くなりました。

どうしようも無いし、どうも出来ない。そして、寄り添う若い猫にも同じく、何も出来ない。

俺は先を急がないといけない。そこに何時迄もいるわけにもいかない。

寄り添う若い健康そうな猫は何時迄、そこにいてくれるだろうか?

人の一生も猫や動物の一生も最後は同じ死が待っている。

野生に生きて最後はどんな終わり方をするのだろうか?

普段は考えない事が、そこにあった。

死んで朽ち果て、集られた蝿の餌食になり、蛆だらけになる。

人は社会の中、誰が遺体を始末してはくれる。弔ってくれる。

まぁ、死んで蛆だらけになった猫の死骸も役所の何処かしらの部署の人々が来て掃除するのだろう。

アスファルトとコンクリートの街の中では、気付いた人々が何処かしらに埋める訳にもいかない。

埋める場所がないからだし、不法投棄として人間社会ではルール違反なるからだ。

いつしか時間が過ぎ、寄り添っていた若い猫も忘れて日常の営みに戻るだろう。

その猫もいつか弱り、別の若い猫が寄り添ってくれるだろうか?

そして俺も同じくである。

汚くボロボロで死にそうな猫と、それを見守り付き添う若い猫。

俺に鋭い眼光で、死にそうな猫を守る様に付き添っていて、逃げずに付き添うのは家族だからか?

そう思うのは毛並みが似ていたからだ。

同じ遺伝子がそこに並び、片方は終わりを表し、もう片方は今を表している。

昔はいつかの俺を予想しながら、あの時を思い出すだろうと寂しく思っていたのが今、そうであり、そして又、今は今後の未来を見ながら、その時に今の俺を思い出すだろう。

今日の猫と今の心境を。